2020年2月22日土曜日

『ミッドサマー』-儀式には口を出せない-

『ミッドサマー』(2020年)

アリ・アスター監督の『ミッドサマー』見てまいりました。

理不尽なルールに巻き込まれた主人公たちが、果たしてそこから抜け出すことができるのだろうかという物語。監督前作の『ヘレディタリー/継承』とも通じるところがありますね。ほんと嫌な話を作る名人(笑)。

悪夢をずっと見せられているような心地で、館内も暑かったのか妙な汗を全身にかいてしまって、個人的には4DX並みの体感でした。

緑に囲まれたとある山村。山奥の広々とひらけた土地にあるこの村は、白夜により夜を知りません。延々と、煌々と照りつける日差しのもと、白い衣装に身を包んだ村人たちが笑顔で暮らしています。
この異境に、若い男女が訪れてどえらい目に遭うわけです。 
 
ほぼ全編が儀式でした
この集落では宗教と風習により、徹底した儀式が構築されており、なんびともこれを侵すことはできません何から何まで儀式で成り立っており、食事をとるにも花を摘むのにも全てルールの中で行っているのです。
友人の案内でこの地に足を踏み入れた男女たちは、驚きつつ、困惑しつつ、その特有のルールに興味を持つものも出始めます。

葬式で笑ってはいけないのと同じで、そこに入ればルールに従わなくてはなりません。

子供の頃、たまに友人宅へお泊りすることがありました。
そのとき泊まった友人宅ではお風呂のお湯がぬるいルールがあり、おそらく子供たち用にぬるめの設定をしていたんだろうと思いますが、私の家は熱々の湯船に「あー!」と叫びながら肩まで浸かるようなルールでしたので、そのギャップに驚いたのを覚えています。

ぬるいからといって、私は追い炊きを求めることはできませんでした。友人と友人の弟と三人で大はしゃぎで風呂を終え、その後布団に入ってから熱を出すことになるのです。身体が冷えて風邪をひいてしまったのでしょう。

翌朝の朝食は肉まんだと聞かされていましたが、晩のうちに帰宅することになり、肉まんにありつくことはできませんでした。私の家では肉まんはおやつであり食事に食べたことがなかったので、なんて素晴らしいルールなんだと大喜びしていたのですが。。

「あ、こちらでは、そのようになさるんですね、、、」という思いは誰しも感じたことがあるはずで、地域や職場や学校やお店などなどあらゆるコミュニティにおいて、積み上げられてきたルールに他者が初めて触れたとき、何かしらのショックが起きるものでしょう。

小さな小さなコミュニティである家庭単位でも風呂ルールが変わるのに、国や人種、宗教、歴史が違えば、ますますその違いは大きくなるでしょう。だからこそ昨今は“多様性”への関心が高まり、相互理解と偏見からの脱却が求められているわけですが、それをこのアリ・アスター監督は悪用(笑)しまして、およそ思いつく限りのおぞましい“特有の”ルールを主人公たちにふっかけてきます。「あ、こちらでは、そのようになさるんですね、、、」の連続。ここでは当たり前のことなんだからと許すと、とんでもないことが起きてしまいます。
まぁホラー映画ですね、これは。

こわい映画らしく、この映画にはこわい老人が多数登場します。
最近だと、M・ナイト・シャマラン監督の『ヴィジット』(15年)で姉弟が宿泊する先の祖父母、それからアンディ・ムスキエティ監督の『IT イット THE END 』(19年/続編の方)でジェシカ・チャステインが訪ねた家の老婆、あの風味の老人群がそうです。こわい老人。

ボケてるのか何なのか、話が通じなさそうな老人の怖さを描くのが近頃少し流行しているのかもしれませんが、本作にも沢山出てまいります。私はこわい老人ファンですので存分に楽しむことができました。怖かったです。

夢を見ているような、酩酊しているような、ドラッグでトリップしているような、地に足のつかないような、感覚が麻痺したような、そうした状況の中に信じがたい現実がぽんぽんと放り込まれる超現実儀式映画。音もまた凝った作りをしており、見ていて汗ばんだのは音の効果にやられてしまったからかもしれないと、後になって思いました。

早く帰って今日は早寝しよう、布団でゆっくり眠ろうと、帰宅の電車でそう思っていました。アリ・アスターめ、ありがとう。
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